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野に咲く花のように2

by 遠藤響子

「野に咲く花のように」②

「碧い湖のほとり」

私がかつて身につけた対話技法に日本国内では精神科医の水島広子さんが提唱なさっている「アティテューディナル・ヒーリング」というのがあり、今でもとても役にたっています。

技法と言っても何も難しいことではないのですが、頭でっかちの「大人」にとっては簡単なことではないかもしれません。

それは、相手が現在の悩みなどの話しをしている時、聞き手は一切自分の意見を言わないということ。アドヴァイスは厳禁。レジュメも厳禁です。ただだまって話し手の気がすむまで話しを聞きます。レッテルづけもカテゴライズもしません。

頭の中のジャッジを止めて、ただただ話しを聞きます。相手を助けてやろう、何とかしてやろうと思わずに。

みなさんの多くは「これで救われるのか?癒されるのか?」と、思われるかもしれませんが、話している人が最初は感情的でも、徐々にその人らしいまなざしとなり、落ち着きをとりもどし、元気になって行く姿を何度も見ました。そして不思議なことに、何も話しをしていないこちらも落ち着き安心して、自分の力を取り戻すのです!

大抵の人は話しを聞きながら「何か気のきいたことを言ってやろう。」と気が散っていたり、「こういうことでしょ。」と自分のテンプレートを使いレジュメをしてマウントしがちだと思います。ハッキリ言って、こういう会話は落ち着きがなく疲れますよね。相手とつながれなかった証拠です。私もこれで何度失敗したことか…

「アティテューディナル・ヒーリング」というのは自分の心の状態を平和に保つことを一番の理想とする考えですが、きっと何もジャッジし合わない人間の交流というのは、ものすごい量の良いエネルギーの交換が成されるのだと思います。

この豊かで美しい交流は、実は作品を作る時の自分自身との対話のありかたにも通じています。自分を追い立てない静けさや、丁度よい激しさと同時にどこか軽くユーモアのようなものが体内にないと作品は生まれません。

自力でこのような状態になれる時もありますが、すぐれた美術や映画、そして一心に咲く花々に助けてもらうことがままあります。

「碧い湖のほとり」

ハマスホイの絵画をただだまってみる

右脳がワタシのすべてとなり言葉が遠くなる

下腹がずっしりと重みを感じ、ううっとしゃがみこみたくなる

腹の中に「碧い湖」が見え、ワタシはそこにワープする

誰にも邪魔されることのない、静けさが染み渡る

「感動」という次元をはるかに飛び越え、脳神経がしばらく四肢を動かすことを忘れてしまったような瞬間

「ワタシ」がどこかに行ってしまっているのだけれど、確かに「ワタシ」はここにいるという奇妙な感覚

絵としばらく交信する

言葉に表しようがなく、ただ感受性のみがフル回転して、何かに圧倒されているような感じ

言語以前の漠たるエネルギー

活き活きとして手つかずの豊富な資源

見えない情熱が満ち満ちている場所

「何かしてやるぞ。」「何か生まれるぞ。」と遠くで確かに聞こえる

自然に姿勢がよくなる

湖面がわずかに波打つ

私はこの「碧い湖のほとり」が大好き

多分そこはワタシの源泉(ソース)だから

多分この世に生まれる前にいた場所だから

きっと、ワタシが帰る場所だから

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