LOG IN

野に咲く花のように3

by 遠藤響子

野に咲く花のように③

「メモ書き」

頭の中に勝手に言葉が浮かぶことがあり、それを書き止めようとしたメモが机の上にはいつも散乱しています。ずい分前のもあるし、つい昨日のもありますが、たいていはその時「頭にあふれた文字を書きたい」という衝動にかられただけのものであり、後で読むと???のことがよくあります。でも一応とっておきます。

今日はそれらがたまってしまったので、かたづけなくちゃと、小さいメモ用紙のものやコピー紙の裏のものなどを整理していました。中には「お、これは」というのも出て来ます。

今日はそれをひとつ

「paper」

わたしの指は紙

わたしは紙でできているの

歌を歌いたいほどあなたが好き

でもあなたに手紙を書くことはできないの

なぜならわたしは紙だから

ペラペラの紙だから

涙をふくことはできるけど…

それでもやっぱりわたしはわたしを信じるわ

まるで生まれたての、まだ上手に歩けない仔馬のような詩ですね。これがいつか手を加えられて育つのか、エスプリが活かされて違う形で出て来るのか、それともこのまま消えて行くのか、、、。

一番大事なのは、その時の「書きたい」という衝動に従ったということで、数分後には消えてしまうかもしれない気を数行に閉じ込められた快感はなかなかのものです。

人に提供作品を書くときのミーティングで、必ず持って行くのは紙と筆記用具。話しの内容をすべて書くわけではありませんが、話している最中に湧いてくる断片のアイデアを必ず書き止めます。それをうちに持ち帰って、譜面台の横において、時々ながめながら創作活動をします。

人から見たら意味不明の暗号のような言葉群でも、アイデアが湧いた!という瞬間のエネルギーがそこに閉じ込められているので、後々の創作の道標になります。

先日、ヴォイス・トレーニングの体験レッスンを受けました。何しろ七十歳で「ワイルドフラワー」を歌うという目標がありますので、声帯の衰えを感じるこの頃、なるべくのどに負担をかけない発声というのを模索していたところ、「歌声」をきっちり学問のように体系化しているメソッドを見つけたので行って参りました。

先生は予め私のために用意してくれたテキストに講義をしながら、同時に言っていることをドンドン書き込んでいました。ああ、この先生も出て来る言葉を「書きたい」んだなぁと思いながら、私はだまってその所作をみていました。講義の半分の時間は先生が書き込む作業だったように思います。

さて、家に帰って来てそれを眺めると、、、。

そこには「教えよう」とする先生のエネルギーが乗っており、私はその紙を壁に貼ってながめながら発声練習をしていると、再びレッスンを受けているような気持ちになるのでした。

記者会見などを見ても、今は小型のICレコーダーで簡単に録音が出来ますが、必死にペンを走らせている記者さんもいます。言っていることをすべて書いているとはとても思えませんが、きっと後でご本人が見て文章を起こす時の助けになるのではないかと思います。

余談ですが、電話をしながら偶然手元に紙と筆記具があり「そうですよね~。」などと応答しながら、メモ用紙に意味のない四角を書いたり、線や図を書き重ねたりすることってありますよね。あれ、好きです。特に人がやっているのを見るのが。

メモ書きで肝心なことは「アナログ」でなければならないということです。出先で筆記具を忘れ、タブレットなどに打ち込むと、後から見ても何も感じません。デジタルは形に残らず便利ですが、エネルギーが乗りにくいので、アート作品などを見てもどぎついものが多いです。「味が」出しにくいのでしょうね。グリグリとてんこ盛りにしがち。音楽でもそうです。

やはり私はエネルギーの乗ったものが好き。食べ物でも文章でも美術作品でも「気」のこもっているものが好きです。自分で言うのも何ですが、私の持っている「エネルギーセンサー(又はスキャナー)」はかなり正確だと思っています。

OTHER SNAPS